パラリンピックの【歴史】をわかりやすく解説します!
2人の医師の情熱が障がい者スポーツに大きく貢献した。
近年障がい者スポーツは発展傾向にありますが、その原点をつくったのは2人の医師でした。
今回は2人の医師を中心にパラリンピックの歴史を遡りたいと思います。
この記事でわかることはこちらです。
この記事でわかること
パラリンピック父
日本で障がい者スポーツに情熱をもった医師
パラリンピックの名称
日本でのパラリンピックのメダル数
パラリンピックの価値
パラリンピックの歴史
障がい者スポーツは、近代スポーツの影響と身体障がい者のリハビリテーションという2つの側面から始まりました。
そこから19世紀末のドイツの聴覚障がい者たちが、「自分たちも健常者と同様に、スポーツを行いと」と願い、世界最初の聴覚障がい者スポーツクラブが結成されました。
そして、パラリンピックの原点は、1948年にイギリス・ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内で行われた車椅子患者によるアーチェリー大会です。
こ大会の主催者が、今回この記事の登場人物の1人の医師で、パラリンピックの父と呼ばれているルードウィッヒ・グットマン博士=です。
ルードウィッヒ・グットマン
世界中で戦争が盛んだった、19世紀前半に、脊髄の損傷に治療を行なっていました。戦争で負傷した、軍人のリハビリテーションとしてスポーツを活用しようと考えました。
車いす生活になった患者にアーチェリーや卓球などのスポーツを積極的に取り入れ、車いす生活となった患者たちの社会復帰を目指していきました。
グッドマン博士は当時
「失われたものを数えるな、残っているものを最大限にいかせ」
という言葉を残しています。
その後もリハビリテーションの一環として、車いす競技大会が実施。
1952年にオランダ人が参加し初国際大会。
1960年には第1回パラリンピックを実施されました。(当時は国際ストーク・マンデビル大会名)
▼スクロールできます ▼
1948年 | 1952年 | 1960年 | 1964年 |
---|---|---|---|
ストーク・マンデビル大会 | 国際ストーク・マンデビル大会 | パラリンピック 第1回 ローマ大会 | パラリンピック 第2回 東京大会 |
参加者16名・アーチェリーのみ | 初の国際大会(オランダ人参加) | 23ヶ国・400人 参加 | 21ヶ国・400人 参加 |
パラリンピック(Paralympic)
→Para(もうひとつの)+Olympic(オリンピックス)
もうひとつのオリンピックという意味で使われています。
1988年のソウル大会から、パラリンピックという言葉が正式初めて正式に使われるようになりました。
中村 裕
グッドマン博士に影響を受けた日本人がいます。
中村裕 (医師)
中村博士は第2回パラリンピック 東京大会に大きな功績を残しました。
国立別府病院に勤めていた中村博士は、リハビリテーションの研究のため、イギリスに派遣。そこでグッドマンに出会いました。
「脊損患者の85%が、平均6ヶ月で社会復帰する」というグッドマン博士の成果を目の当たりし、中村博士はスポーツを用いたリハビリテーションの可能性を知ることになります。
まだ、日本ではリハビリテーションという言葉さえも浸透してない頃に、スポーツを通じたリハビリテーションを取り入れようと実行しました。
中村博士は1964年の東京オリンピック時に、障がい者の国際大会を開こうと考え、関係者や新聞社に働きかけ、見事に大会の実現に成功しました。
実は前年の1962年にストークマンデビル大会に2人の車いす選手を連れて参加したのが注目を集めました。このとき資金が足りず、自分の車を売って旅費の足しにしたエピソードも残っています。
第1回ローマ大会は日本人選手は不参加だったため、1964年の東京大会が日本人選手にとって初めてのパラリンピック出場。欧州以外での初めての開催となりました。
22カ国からおよそ400人の選手が参加し、日本からも53人の選手団が出場するという充実した大会となりました。
中村はこの大会で日本選手団の団長を務めています。彼がこの大会の功労者というのは言うまでもありません。
この大会を契機に日本の障がい者スポーツとパラリンピックは大きく前進していきました。
例えば、1975年の「フェスピック競技大会」(現在のアジアパラ競技大会)などがあります。
そして、2020年の東京パラリンピック大会では、日本選手は大活躍しました。
直近3大会の年表
夏季競技大会 年表 | |||
---|---|---|---|
開催都市 | 開催都市 | 参加国 | 日本の成績 |
2012年 | ロンドン(イギリス) | 164か国 | 金メダル 5個 銀メダル 5個 銅メダル 6個 |
2016年 | リオデジャネイロ(ブラジル) | 160か国 | 金メダル 0個 銀メダル 10個 銅メダル 14個 |
2021年 | 東京(日本) | 161か国 | 金メダル 13個 銀メダル 15個 銅メダル 23個 |
冬季競技大会 年表 | |||
---|---|---|---|
開催都市 | 開催都市 | 参加国 | 日本の成績 |
2014年 | ソチ(ロシア) | 45か国 | 金メダル 3個 銀メダル 1個 銅メダル 2個 |
2018年 | 平昌(韓国) | 49か国 | 金メダル 3個 銀メダル 4個 銅メダル 3個 |
2022年 | 北京(中国) | 46か国 | 金メダル 4個 銀メダル 1個 銅メダル 2個 |
その後、パラリンピックはグッドマン博士の理念を受け継ぎながら、大きく発展・前進を続けていきます。
国際パラリンピック委員会(IPC)は、以下の4つの価値を重視しています。
- 勇気
- 強い意志
- インスピレーション
- 公平
まとめ
今回はパラリンピックの歴史を2人の医師を中心に遡ってきました。
2人の強いビジョンと意思が、現在の障がい者スポーツをつくってきました。
グッドマン博士の
「失われたものを数えるな、残っているものを最大限にいかせ」
この言葉は障がい者のみならず、たくさんの人々の胸の中に突き刺さる言葉です。
2人医師が紡いできた、障がい者スポーツは他にも数多く存在します。
私たちは、このサイトでたくさんの障がい者スポーツを皆さまに紹介できればと思っています。
参考文献
- 改訂 スポーツ社会学 ー歴史から学ぶスポーツの未来ー,p132〜133,著者代表者 依田 充代
- 笹川スポーツ財団(https://www.ssf.or.jp/knowledge/history/supporter/19.html)
- 日本パラリンピック委員会(https://www.parasports.or.jp/paralympic/what/history.html)
- 木村敬一選手 画像参照(https://www3.nhk.or.jp/news/special/2020news/athletes/46/04.html)